読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

COLUMN0047

プロレスときどきサッカー。素人の思ったことつれづれ。

2015年 8.16 G1決勝

30分を超えた試合を見たのは久しぶりな気がする。正直、時間切れ引き分けになればいいのに、或いは、このまま試合がずっと続けばいいのに。でも、この優勝決定戦は時間無制限一本勝負だし、当然、永遠に続く物事なんて無いことは分かっている。

決死のHFFを返した中邑真輔が、ハイボマイェからのエビ固めを2.9で凌いだ棚橋弘至が、常識や予定調和では語れない試合をしていたから、いつまでも続きそうに見えた、というか、それは僕の願いだったわけだけれども、32分15秒。HFFからのエビ固めで決着はついた。

このシリーズ通じ各会場を多幸感で満たした棚橋弘至が、この最終日の両国にあってもピースフルなファンサービスを披露し、極みの夏は幕を閉じたわけだけれど、今日はどこか満ち足りない。ありあまる幸福感で溢れているのに、どんなに満たされても欠けるのだ。

決定戦のカードが決まった時点で、どちらが勝ってもそりゃあ当然ハッピーエンドだし、どちらが負けても切ない幕引きになる事は分かっていたはずなのだ。割り切れない気持ちにならざるを得ない事が宿命づけられたカード。そしてそれを何割増しにもした死力を尽くした試合内容。

試合中どっちの応援をしていいのかわからなくて、「たーなはし!しーんすけ!」というなんだかわからないコールをしていた。会場から何度コールが起きても、どちらが優勢か本当にわからないくらい拮抗した状態だったのだけれど、ファンの数も同等だったのだろうし、或いは、僕と同じように選ぶことなんか出来ない。という思いで見ていた人も多かったのかもしれない。

二人とも勝ち負けがまだ関係ある最前線に居て、何年間も新日本という団体、それだけではなくて業界全体を支えている事をみんな知っていて、どちらが勝っても説得力がある紙一重な展開で、一方が勝者でもう一方が敗者で、でも、それが残酷だ、なんて安っぽい言葉で表現できない事は分かっていて。

だから、実際、結末が訪れたときの事を思い出すと、棚橋が振りまく多幸感と、中邑が勝てなかった少しの欠落感、というのが、表現できる精一杯だった気がする。でも、その欠落感というか、切なさ込みで、極上の感情が喚起されたのだろう。

だから、予想通り予想以上の試合後、あまりに意外だった中邑真輔から求められた握手は、簡単に言葉にしてはいけないと思ったわけです。

棚橋vs.中邑は、今まで以上に大切なカードになったし、して欲しいと思う。次に見るのは何年後かでもいいくらい。

もし、あのニュートラルコーナーで雪崩式のランドスライドが決まっていて、両国の一万人がイヤァオ!と叫んでも、最大級のカタルシスのどこかに小さな引っかかりは出たと思う。勝敗は紙一重だったけれど、沸き起こる気持ちは同一だったに違いない。

ただ、こうして勝敗がついたことで両者の歩む道は少し変わってまた交わるまでには時間を要することになるだろう。

その間にいろんなタレントがいろんな切り口で感情を揺さぶる試合をしてくるだろうけれども、このカードの価値が変わることはないという確信を強くあらためた夏だったし、お二人に、あとは参加選手の皆さんに、感謝の意と、リフレッシュ後の更なる超展開を期待して。

G1ロス、そしてエルガンロス(エルロス)の僕は、かき氷を食べつつ少し涼しくなった夏の終わりをぼんやり過ごすのでした。

とかいいながら、23日の両国ピーターパンが楽しみでたまらない。やはり日本のプロレスファンは恵まれてるよなあ。